【高齢者の認知症と運転免許】ドキュメント!

2024年7月28日日曜日

高齢化社会 社会問題

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 前回に続き、高齢者の認知症と運転免許の問題を書いてみる。

ドキュメント・高齢者の認知症と運転免許許可を判断する医師の現状

高齢者の運転免許更新には、認知機能検査が義務付けられている。
高齢者の運転免許更新には、認知機能検査が義務付けられている。

(前回まで)

【高齢者の運転免許更新に伴う認知機能検査】ドキュメント!

91歳になる父親が、運転免許更新に伴う認知機能テストに落第した。

公安委員会からの「診断書提出命令」が出され、市内の病院にて認知症の検査を受けることとなった。

結果については、一週間後に医師の説明、ということで私も同行することになった。

診断書提出命令

ところで、そもそもこの「診断書提出命令」では、どのような内容の診断書を提出することとなるのか。

介護関係のwebサイトでは、次のように書かれている。

わかりやすいので「Care Net」さんの記事「認知症と自動車運転~高齢ドライバー5万人の診断にどう対処するか」から引用する。

公安委員会に提出する診断書では、(1)アルツハイマー型認知症、(2)レビー小体型認知症、(3)血管性認知症、(4)前頭側頭型認知症、(5)その他の認知症(慢性硬膜下血腫など治療可能な疾患。6ヵ月後に要再検査)、(6)軽度認知障害、(7)認知症ではない、のいずれに該当するかを判断する。その際、ミニメンタルステート検査(MMSE)または改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)による認知機能検査を必ず実施し、検査が実施できなかった場合にはその理由を明記しなければならない。さらに、可能な限り画像検査を実施し、所見を記入することも求められている。つまり、限りなく専門医の診断書に近い様式となっており、専門外の医師にとってはかなりの負担であろう。

 警察庁が取りまとめた改正法施行から半年時点でのデータによると、認知機能検査で第1分類に該当し、医師の診断を受けて免許取り消しや停止になった人は全体の9.3%、条件なしで免許証の所持を継続できた人が22.2%、そして6ヵ月後の診断書提出となった人は56.6%にも上った。この結果から、いかに多くの医師が診断に迷っているかがわかる。この中には治療可能な疾患の人もいるが、MCIか初期の認知症かの判断に迷うため、6ヵ月後に再検査となったケースが相当数あるとみられる。こうした「判断の先送り」が経年的に累積していけば、今後の大きな問題になる懸念があり、次善策を講ずる必要がある。

高齢者ドライバーの中には、免許更新の検査で初めて認知症疑いが指摘されるケースも少なくない。これを前向きに捉え、早期発見・治療の機会と考えられれば良いが、一方で患者は診断名を告げられる心の準備ができていない状況であるため、非常にセンシティブな問題をはらんでいる。かかりつけ医の場合には、これまで経験していない対応を迫られる機会が今後増えることも予測される。このため、日本医師会がかなり詳細な対応マニュアル(かかりつけ医向け認知症高齢者の運転免許更新に関する診断書作成の手引き)を作成しており、診断の際の参考にしてほしい。

この診断には、MRI検査など脳の内部を調べる検査も必須である。

そしてその結果として、医師が患者の状態について判断を下すのだが、それは上記のように7つの分類がなされている。

これは、わかりやすく言うと、

(1)アルツハイマー型認知症

(2)レビー小体型認知症

(3)血管性認知症

(4)前頭側頭型認知症

の診断が下されれば、運転免許は取り消しとなる。

しかし、

(5)その他の認知症(慢性硬膜下血腫など治療可能な疾患。6ヵ月後に要再検査)

(6)軽度認知障害

については、かなり曖昧で微妙である。

(5)その他の認知症(慢性硬膜下血腫など治療可能な疾患。6ヵ月後に要再検査)

というのは、物理的原因で現在は認知症と思しき症状が出ているので運転は控えたほうがいい状態だ、ということ。だから運転免許は一時「停止」扱いとなる。

が、6か月後に再検査をして認知機能が回復しているならば、また免許を持って運転することができる、というもの。

これは事故の予後などの特殊なケースが多いだろう。

高齢者の場合、明らかに認知症の症状は出ているが、まだ日常生活がかろうじてできる能力を残しており、運転免許を自主返納することを本人が拒むという、うちの父親のようなケースが最も多い。

そして、そういう人向けに、

(6)軽度認知障害

という、妥協点が設けられている。


軽度認知「障害」というグレーゾーン

医師の説明の当日、私は両親と共に病院に行った。

医師には、父親は記憶が丸ごとなくなるケースが増えていること、認識機能が多方面で低下し、言葉や視覚や聴覚において認識ができなくなっている領域が増えていること、近所のコミセンからの帰り道がわからなくなり、さまよったりしたこともあること、それらがこの半年にわたり急速な進行をしていることを伝えた。

ところが、医師は、

「でも、先日行ったミニメンタルステート検査(MMSE)による認知機能検査では、認知症と診断できる基準には達していない」

「脳内MRI検査も、大脳の収縮は見られるが、年齢相応である」

などといい、しまいには、

「どうします?」

と私に訊いてきた。

・・・どうします?って、なに?それ?

まったく意味不明である。

つまりは、認知症かどうかの判断は、医師が決めるのではなく、本人や家族の意向による、とでも言うのか?

そして医師はさらに、

「ご家族やご本人が、認知症の疑いがあることに気づいていて、認知症の兆候は認められるが、まだ運転する意向があり、また検査結果が今回のようであるならば、半年後に再度検査する条件付きで、運転免許の保持を今回は認めることができます」

と言った。

これが、

(6)軽度認知障害

であり、認知症の軽い症状が出ているが、「経過観察」という妥協的措置なのである。

両親は、診断書提出命令が出されて以降、「運転免許がなくなれば、生活できなくなり、人生が終わりだ」と恐慌状態に陥っていた。

ここで運転免許が失効すれば、さらに混乱が予想される。

医師も、こういうケースがさぞ多いのだろうと思う。

とりあえず両親には、「救世主」的な暫定措置がとられるということだ。

そして今回の診断結果は「(6)軽度認知障害」との扱いになったのだった。


これでいいのか・・・?

この現状にはさまざまな事情が存在する。
明らかに危険な高齢者であっても、医師は「軽度認知障害」として半年後の再検査を条件に、運転を許可する。この現状にはさまざまな事情が存在する。

だが「・・・これでいいのか?」とは疑問は残る。

私は、父親の頭の状況は、かなり危険水域にあることを日常で見てきている。

まあ、「死を否定」している両親の愚かなるパニックを鎮めるにはこういう処置で致し方ないのかもしれないが、しかし非常に後味が悪いものを感じる。

そこで、私が医師に、

「センセ、では今回そういう暫定案でいくにしてもですよ、異常がすでにあるのは事実なんですよ?わかってます?・・・だったらせめて、認知機能に関する薬でも出してもらえんのですかね?」

と訊いてみたら、

「それについては、それじゃあ紹介状を書きますから、専門医のところへ行ってもらうようにしてください」

とあっさり言われた。

あなたは、専門医じゃないの?だったら、そもそも、あなたがこんな診断を出していいのかい・・・?と、少し背筋が寒くなった・・・。


高齢者の認知症と運転免許の返納問題は、福祉の大問題につながっている!

超・高齢化社会は、想定が甘い日本ではすでに様々な問題が発生してきている。
超・高齢化社会は、想定が甘い日本ではすでに様々な問題が発生してきている。

超・高齢化社会の問題は、すでに日本では破綻の一歩手前にある。

今回のような診断、すなわち

(6)軽度認知障害

については、私個人の意見としては、半年後再検査義務をつけるとしても運転免許を認めることには反対だ。

しかし、運転免許更新の認知機能検査で「診断書提出命令」が出された場合、半年の執行猶予のようなものとして「(6)軽度認知障害」の診断が下されるケースは、上記で紹介したCare Netさんの記事にもあるように、診断書提出命令の結果としてでてきた診断の半数以上を占めている。

うちと同様のケースが非常に多いのだと思う。

これには、日本の福祉が急速に進む超高齢化社会に対応できていないという深刻な問題と事情があるのだと思う。

運転免許がなくなることは、農村の高齢者には死活問題

都市部では運転免許の自主返納については、それをすることの見返りとして一般的には公共交通機関などへの優遇措置というのがある。

これはタクシーの割引や、バスや電車などの無償化、大幅な割引などの措置である。

公共交通機関が多い都会ならば、そうした措置で車の運転をやめることもできよう。

だいたい東京などでは生活するのに車はなくてもいいくらいだ。

しかし、これが地方ではそうはいかない。

私が住まう新潟の農村地域では、市内中心部に行くバスは一日6本程度、赤字ローカル線の鉄道もそんなものである。

こういう地域では、運転免許自主返納への見返りとして、できる優遇措置はほぼない。

とりあえず、自主返納したらまず一番困るのは普段の買い物だ。

旧町のエリアにおいて現在日用品を買える店は国道沿いにスーパー、ドラッグストア、ホームセンターが各一軒あるのみ。

またコンビニも国道沿いに二軒あるのみだ。

実家からスーパーまで行くには、歩いたら徒歩で20分、しかし途中に丘陵があるので足が弱った年寄りには到底無理である。

では、こうした状況を行政はどう考えているか?

市のホームページでこんなやりとりを見つけた。

市への問い合わせ

・・・一つ目、運転免許自主返納の支援です。

現在、●●市において運転免許自主返納の支援は、ないものと認知しております。

他自治体においては、タクシー割引やバスの利用料金の免除などがある自治体があります。

柏崎市においても、ぜひ検討してください。

 

市の回答

運転免許証の自主返納への支援については、返納された方に限らず、交通弱者であります全てのご高齢の方に持続的な交通支援が重要と考えています。

当市では、令和元(2019)年度から満65歳以上の方に限定した路線バス高齢者専用回数券を販売しています。100円券と160円券が半額で購入できますので、ご利用いただきたいと思います。

・・・これって、現状に関しては「なにもする気はありません」ということだよね?

回答になっとらんわ。

いちおう、福祉バスは導入はされている。

旧町内ならばスーパーでもクリニックでも、400円で自宅から送り迎えはしてくれる。

ただし一台だけで回しているので、事前予約など必要で、いつでも、というわけにはいかない。

それでもあるだけまだマシなのかもしれない。

が、市の中心部の病院に行こうとするならば、タクシーを使うしかない。

しかしタクシーで市内まで一往復すれば15000円以上かかるのである!

金銭的に余裕がない高齢者は、市内の病院には通院などとてもできない。

これでは、市内の病院に緊急で行かねばならぬ人は、救急車でも呼んだ方が早いし安い。

先細りする福祉は、日本の地方では深刻化の一途をたどっている。


さまざまな事情

この地域で多くの高齢者が運転免許を「手放したくない」というのは、こうした現状がある。

福祉が旧郡部の農村地域へいくほど行き届いておらず、また改善される可能性はほぼないからである。

実際問題として運転ができなくなれば買い物もままならず悲惨な状況となる。

つまり、福祉行政がずさんだから、自主返納できないのだ。

だが高齢者の運転免許自主返納、免許取り消しがなかなか進まない理由は、他にもいろいろと「事情」はある。

長い付き合いのある車のディーラーが言っていた。

「最近、若い子は車、新車は買わないんですよ。車が年々売れなくて・・・」

彼の話では、昔と違い、自動車は非常に売れないという。

若い世代は金銭に余裕のある人が少なく、新車を買うのは大半が60歳以上の高齢者なのだという。

これは、日本社会全体を見てもそうである。自動車業界を支えているのが、高齢者なのだ。

いや、デパートもそうだし、付加価値のあるものを買えるのは今や高齢者がほとんどというのが日本の現状である。

自動車業界は政治献金などもやっている。

ただでさえ日本の選挙の投票率は異様に低く、投票する主な世代が高齢者だ。

認知症の判断を厳しくし、規制を厳格化できない理由は、高齢者の購買に期待する産業界や、高齢者の投票に依存していてご機嫌を損ねないように必死の政治の世界の問題もあるのである。

市町村にも市町村の事情がある。

先ほど例に挙げた「市のホームページ」のように、運転免許自主返納者に対する支援要望への市の回答はゼロ回答とせざるを得ない地方行政は多いだろう。

なぜかといえば、地方では超高齢化社会プラス少子化で人口は激減している。

福祉を拡大する以前に、地方行政自体が存続の危機を迎えようとしている。

だいたい、地方では主要産業が「公務員」だったりする。

主な産業もなく、育成努力もせず、補助金に頼りつつ公務員ばかりを増やしてきたこうした街は、福祉などといってもマトモに考える知能がないのかもしれない。

もっとも福祉に回す予算もないし、回したとしても今後人口が激減していくとなれば、投資する価値がないことになってしまう。

だから市町村としても高齢者には運転免許をなるべくいつまでも持っていてもらった方がいい。

そのほうが福祉に金を使わなくて済む

医師は医師で、厳格な診断を下そうとすれば逆ギレする患者も多い。

とりあえず「経過観察」措置としての「(6)軽度認知障害」としておけば、恨まれずに済む。

その間に、極力患者自身が自己判断として運転免許の自主返納に傾いてくれる方が医学的な知見というよりは「楽」なのであろう。

結果として、複雑な次元での「妥協」が成立し、明らかに認知症の症状があるとしても、「見て見ぬふり」で父親の今回のような判断が下されるのだと思われる。

つまるところ、日本的な「現状維持」信仰とキレイごとのオンパレードの元、ごまかしながら「福祉行政」などとカッコつけたことを言っておるが、その実態はすでに破綻しかかっている。

このままではいずれ、とんでもないことになっていくだろう。


高齢者の運転の危険さ

しかし、すでに高齢者が運転で引き起こす事故は後を絶たない。

農村地域で多いのは、高齢者が運転する車がスーパーマーケットに突っ込んだ、とか、自転車で通行中の中学生をはねた、とか悲惨な事故が多い。

さもありなん、と思う。

うちでも、父親は昨年、雪道でカーブを曲がり切れずに雪の積もった田んぼに突入、雪があったから車も大破はせず、本人も無事だった。

だが、それだけではない。

同じく昨年、スーパーの駐車場で停車してあったスーパーの従業員の車にぶつけた。

また、近所のコミセンに市議会選挙の応援に行き、帰り道が急にわからなくなり、2時間以上さまよったりもしている。

すぐ近所からの帰り道が突然わからなくなっているのである。

アルツハイマー型認知症ではこうした事例は多く、日課の散歩中に突然、家に帰れなくなったりする場合が多々あるという。

ちなみに、である。

・・・うちの場合は、母親も似たようなものなのだ。

彼女は三年前から歩行困難になっているから、運転免許の認知機能検査は通ったものの、現在は運転ができないでいる。

しかし彼女には運転はさせたくない。

数年前、実家の入り口でアクセルとブレーキを踏み違え、車を石垣に突入させて一台新車で買った軽自動車を大破させて廃車にしている。

昨年、思いついたように「運転の練習をする」などと言って車で郵便局まで出かけたはいいが、帰ってきて車を車庫に入れようとしてぶつけ、車庫を破損させた。

なのでいちおう母親の車は外に置くようにしているが、昨秋にはまたまた運転の練習をするといってでかけたものの、車を家の敷地内に入れることができない、という。

父親を呼んで、なんとかしてくれ、と言ったが、父親は父親で、マニュアル車なら運転できても、オートマ車は運転の仕方を忘れてしまった(!!三年前まで乗っていたのに!)。なので運転ができない、というのである!

結局、私が所用で出かけていたのに、電話で呼び戻され、処理をすることになった。

・・・たまらない。

いくら運転免許の認知機能検査をパスしても、これでは本人も家族も恐ろしくてとても運転はさせられない。

にもかかわらず、自主返納を彼女もまた拒み続けるのである。

はっきり言おう。

警察も、医師も、認知症の基準が甘すぎる。

もし、悲惨な事故が起きたとすれば、それは運転免許の更新基準に抜け穴がありすぎて、少なくともうちの両親に関して言えば、「一種の狂人」に運転を許可している制度そのものに重大な欠陥があるのでは?と思わざるを得ない。


同居家族のジレンマ

私はこうした「イカれた」高齢老人二人と生活することを余儀なくされているが、この二人の運転については内心、気が気でならない。

なにが起きても不思議ではない。

なので、あと半年は運転免許が使えることになり、運転する気満々の父親には、

・運転はスーパーなど旧町内に限る

・市内へ行く場合は、母親の病院への送迎など、母親が一緒に乗っている場合に限る

という条件を付けることにした。

だが、そういう私の助言など不服でたまらない父親は、「暴走」を始めると約束など無視する。

なにかしでかして電話が私にかかってくるような不安はあり、日々心が休まらない。

私はこうしたアルツハイマー性の両親には、運転免許を返納してほしいと真剣に思っている。

しかし一方で、そうなった場合、確実に私への負担が増大することになるので頭が痛い。

両親は二人とも自己愛が非常に強い性格である。

いや、自己愛しかないような人たちだ。

加えて、彼らは「元教員」であるから、先生呼ばわりされ続けた結果として、自分が無条件で聖人君子であり、エライものだと思い込んでいる。

こういう人たちは、一番手に負えない。

少し気分が悪いとか、血圧が高いなどというものなら、すぐに「死ぬかもしれない」と大騒ぎを起こし、頻繁に市内の病院へ頻繁に駆け込んでいるが、こんなのの送迎をいちいちしていたらなにもできなくなってしまう。

前回のこのシリーズでも書いたが、たとえ介護認定があっても、このエリアでは支援策は非常に薄い。

だいたい、介護保険など同じ住所に息子や娘が住んでいるならば生活支援は対象外なのである。

だが一人暮らしで身動きが取れなくなった高齢者は、買い物もできないし、どうしようというのだ?

息子や娘がいるとしても、四六時中「頭がおかしくなった」年寄りの要望に全て応えられるわけもない。

いっそのこと、身動きができなくなれば入院なり施設入居もできるのだろうが、運転免許が更新できない、運転できない、頭もおかしいが「まだ歩ける」という理由で要介護2にしかならないような年寄りの、生活介護も私がしなければならないということは、こちらの頭が発狂しそうになることだらけなのだ。


高齢者自身にも問題がないとは言えない!(うちの場合は特に)

だいたい、うちの場合、この二人の高齢者は本当にたちが悪すぎる。

自分たちが「永遠に死なない」という妄想を前提で生きている。

それがいつの間にか、「自分たちだけが生き続けるためならば、誰が不幸になったってかまわない」というような考え方を持つに至っている。

たとえば、車が運転できなくなった場合、なにをどうするか?といったことに関しては、考えるのを拒否してきているものだから、いざそうなりそうな状況になれば、「弱った弱った弱った弱った」を永遠に繰り返し、それで鬱病の薬を飲まねば不安で不安でたまらない。

二人ともだ。

鬱病の薬は依存性があり、切れてくれば攻撃的になり、私に悪態をつく。

自分たちが何も考えていないことを指摘されたり、自分の思い通りにならないと、母親などは、

「私なんて、死ねばいいと思ってるんだろ!明日の朝死にますて!」

というようなことを私に言い出す。

もう最近では、私は容赦しないことにしているので、母がそういうことを言い出す場合は、

「ああ、止めませんから、死ねるもんならお好きに死んでください!でも、犯罪が疑われるのは嫌だから、そうするんならば遺書書いてから死んで!

死ねないんなら、俺の言うこと聞きなさい。聞けないならば、誰か他の人に世話を頼みなさい。あなたたちの世話なんてまるでしたこともない、する気もないあなた方の”立派な娘”にでも、私の代わりをさせなさい!あなたが死ぬのなんか願ったりかなったりです!俺をそんなことで脅そうとしても無駄です!」

と突き放すことにしている。

では、母親が死ぬか?といえば、・・・まだ生きておる。

あれ?死ぬんじゃなかったの・・・?

これが超高齢化社会の実態なのか?

これが、ガッコで偉そうなことばかり言ってた、教師というものの慣れの果てでもある・・・。あきれる。

日本で不登校児童が激増するのも、こうした「元教員」たちを見ていると、やけに納得できる気さえする。

日本社会が今現在、かなりおかしくなってきているとして、原因の一つは彼らのように「死を否定」した高度経済成長期の日本を娯楽中心で生きてきた高齢者と、その票で運営されている政権なのではないのか?とすら思えてくる。

まあ、言い出せばキリがないのでやめとこう。


福祉に関する当事者意識が行政にも議員にもまったくない!

急速に加速する超・高齢化社会では、うちのような状況は多数発生していく。
急速に加速する超・高齢化社会では、うちのような状況は多数発生していく。だが、行政の動きは鈍く・・・。

福祉行政は金ばかりかかって生産性がない、と言われる。それはわからなくもない。

財源が補助金頼みの地方行政が、福祉の方面を拡充できないのも、わからない話ではない。

だが。

ただでさえ生産年齢人口が減り続けているというのに、生産年齢人口の活動を妨げるような現状が発生しているとすれば、これはまさに「負のスパイラル」である。

日本は、医療保険、介護保険等の負担は決して安くない。

しかもその上で生鮮食料品にまで消費税を課す。

よく、欧州の消費税率は19%だ、などというが、それは外食産業や贅沢品、酒などに関することであって、生鮮食料品は消費税は課されていないのである。

それだけ税金を取っている一方で、政治献金をしてくれる経団連などの大企業に対しては減税優遇をとり続けてきた。

輸出企業は消費税は事実上納付していない。

そして内部留保がたまり続けている。

にもかかわらず、そういった部分に課税を行わない。

福祉に関して言えば、農村に住んでいたら同じ市にいるというのに、一往復15000円以上タクシーに金を払わねば病院に行けない、あるいは家族が送迎しなければならない。

市の中心部にいるものは、市の福祉交通で数百円で綜合病院に行けるというのに、農村部では運転免許を返納すれば、お金のない者は綜合病院に行くことすらできない、というのであれば、私の住む市は農村部を切り捨てているのである。

こうした状況に財源もへったくれもあるものか。

明確な地域差別以外の何事でもない。

市会議員など、なにをしているのだ?

「福祉のプロ」などと騙る市会議員が実家のあるこの農村部から市議会に出ているが、いったいこの「福祉のプロ」はどこを見て、いったい誰のために議員さんなどやっているのだろう?

食に関することもそうである。

移動スーパーの誘致など、できることはいろいろとあるはずだが、市も「福祉のプロ」もなにもしない。

先日、私は移動スーパーを運営する会社に電話し、うちにも週二回、訪問販売に来てもらえるように交渉し、なんとか来てもらえるようにした。

しかし、うちだけでなく、近所にも運転できなくなり買い物が困難な高齢者の家もあることから、市役所や町内会にそういうスーパーもあることを回覧板で告知してもらおうとした。

しかし、驚くべきことに、市役所職員や町内会長はまるで他人事のようで、おそろしく反応は鈍く、私が言うことがどうもよく理解できないようだ。

・・・あんたらも、認知症なのか?

と喉元まで罵声が出かかった。

彼らの場合は、当座、自分と関りがないことに関しては、面倒くさいから極力しないのである。

なんだか、こういう痴呆症的なお役所根性が、地域の福祉をさらに悪化させているのだな、とため息が出る。


社会倫理と福祉行政と当事者意識

日本において、もっとも欠如している感覚は、「公共性」という感覚だと思う。

共通の社会的利益に対し皆が参画していくという感覚である。

社会倫理と言い換えてもいい。

こういう観点は、学校の授業で習うようなことではない。

個々人が、社会の現状や将来に対しての責任を負うという、自然な感覚のはずであるが、そうした当事者意識が現代日本では薄い。

特に、私の周りで言えば、公務員ほどその感覚が薄い。

この点は、ある程度選挙の投票率に反映されるのだが、日本ほど国政選挙でも投票率が低い国は珍しいほどである。

公共の利益に奉仕する者を選び出すのが選挙なのだぞ?

当事者意識がない世界では、選挙など不要だ。

当事者意識が、非常に薄いのが現代日本なのだ。

「福祉のプロを騙る、お祭りとかだけ顔出ししてなにもしてないごっつあんです議員」などは、厳格に「排除」していかねばならぬはずであるが、こういうのを当選させるのが、組織票であり、中身を見ないで組織で投票するから、役にも立たぬ「議員でエラそうに勘違いするバカ議員」というようなものが増えていく。

まあ、極論であるが、病院にも行けずに自宅死する高齢者とか、食料品の購入もできずに栄養状態が悪くなり死んでいく高齢者とかが出るとすれば、それは地域社会全体の大問題だ。

だが、「公共性に奉仕することで金をもらっている」はずの者に最大の責任は課せられるべきである。

すなわち、市の職員や議員さんたちである。

彼らがちゃんと仕事をしないならば、彼らには厳格な高率増税で対処すべきだとさえ思う。

それを財源に加えてもう少しまともな福祉をやってもらいたいとすら思える。

よくよく考えてもらいたいものである。


こうした問題は、うちだけの問題ではない。

この特集では高齢化社会に伴う諸問題を、現実的な視点で取り上げていく。


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