将来の夢がない高校生が増えているという。
受験指導ボランティアの経験から、若者に未来イメージがない時代を考えてみたい。
【将来の夢がない高校生?未来イメージがない?】
| 日本の若者には、大きな変化が起こってきている。将来の夢がない、自分の未来イメージがない、という子が増えているのだ。いったいどんな状況なのかを、受験指導ボランティアの経験から書いてみたい。 |
高校生の将来の夢
こんな意識調査の記事を見かけた。
30年に渡り、ティーンに特化したマーケティング&プロモーション支援を提供する株式会社アイ・エヌ・ジーは
流行に敏感な関東の高校生男女にトレンド調査を実施しました。
渋谷トレンドリサーチは、回収したデータに基づき、渋谷を拠点に運営するINGteens高校生メンバーの生の声を反映し、どこよりもリアルで鮮度の高い最新の高校生トレンドを発表します。
今回の調査テーマは「将来の夢」です。
まずは「将来の夢があるか」についての調査結果です。
将来の夢はある?ない?
ある (59%)
ない (41%)
59%の高校生が「将来の夢がある」と回答しました。
同時に「将来の夢はない」と回答した高校生は41%もいる結果となりました。働き方改革により様々な選択肢や仕事に対する考え方が見直されている一方で、そんな大人を目の当たりにしている高校生も、何を基準に将来の夢や職業を決めれば良いのか迷ってしまうのではないでしょうか。
PR TIMESのwebサイトより
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000130.000026876.html
個人的に思うのだが、これは質問もよくない。
「具体的な職業」を尋ねる質問となっているが、現代の高校生はあまりに社会との接点が少なすぎる。
工業高校や商業高校など職能訓練のカラーをもった高校の生徒ならばある程度は具体性をもって将来像をイメージしているかもしれない。
しかしそうでない場合は、具体的職業はイメージしづらいのではないか。
むしろ質問を「自分の未来イメージ」とした方が良いようにも思う。
そうすれば、また全く異なる回答が出てくるかもしれない。
だが、私が危惧するのは、具体的な「将来の夢」がまだ「ない」というのは理解できるのだが、「自分の未来イメージ」が「ない」という回答がやはり多いようだと、これは非常に深刻であるように思う。
ボランティア
6月となり、日本では新年度も序盤が過ぎようとしている。
ここ数年、高校生の大学受験に関わってきた。
私は塾の講師でもなければ、教職にもない。
しかし、これまで依頼を受ければ大学受験の指導をしてきた。
ボランティアである。
私のところに依頼してくるのは、経済的に恵まれない家庭の子が多い。
なので基本的にはボランティアで、国公立大の受験の手助けをすることが多い。
私は、高等教育はお金がない家の子供でも受けられる社会が望ましいと考えている。
なので、学生時代、家庭教師等をしていた経験を、現在はこういう場面で生かしている。
10年ほどそういうボランティアをやってきた。
この時期になると、「なんとかなりませんか」という話がちらほら舞い込む。
だいたいは知り合いの親御さんが頼んでくる。
最近の高校生、そしてその親
今年は今のところそういう話はない。
ほっとする。
なぜかというと、お子さんの大学受験について「なんとかなりませんか」というような話をしてくる親後さんのお子さんというのは、本人が志して大学に行こうとする子はほとんどいないのだ。
たいていは親御さんが「大学に行かせたい」という願望を持っているだけで、肝心なお子さん本人にはまるで当事者意識がない場合が多い。
「それならば、まずはお子さんと二人だけで話をさせてもらえますか?」
と私は最初に言う。
多くの場合、親は「でも、うちの子は恥ずかしがり屋で」とか、「だって、知らない人だと緊張すると思うから」とか言って、私と二人で話はさせない。
あるいは、「いやあ、進学のことだから、私も一緒に話を聞かせてもらいます」とか言い出す。
こういう場合、私は引き受けない。
「私は別に塾の講師とかではありませんし、高校教師でもありませんから、どこか塾なり予備校なりを探された方がよろしいんではないでしょうか?」
と穏便に断ることにしている。
冗談ではない。
大学受験をするのは、親ではなく、子供本人だろうが?
本人が当事者意識もなく、私とサシで相談できなくてどうする?
小学生ならまだわかるが、もう高校三年生だろうが?
選挙権も付与される年齢だし、結婚しても法的にはおかしくない年齢なのだぞ?
親以外の人間と自分の未来に関する話ができずに、どうするのだ?
だいたい、親御さんも親御さんなのだ。
子供自身のことなのに、親御さんが割って入って「監視」するとはどういうことなのだ?
親が間に入ったりすれば、子供は本音を話さなくなる。
私が指導するのは親ではない。
子供本人だ。
学費だの、家庭的な希望だの、そういうのは親子で話し合ってくれ、と思う。
シラケてしまう。
だが、こういう親御さんが現代では圧倒的に増えている。
彼らは「子供が心配なのです。なにが悪いのですか?」というだろう。
なにが悪いかって?
まずは、お子さんのことをまるで信用していない。
お子さんが、私と二人で話をする、ということをさせないのは、いろんな意味があるのだろうが、一つは子供が他人である私の前でぼろを出すのではないか、という意識がある。
また、家庭事情など「余計な」ことを外部に話さないかが気がかりなのだ。
だから同席することで「監視する」。
子供を信用していないからそうするのである。
でも、それだけではない。
こういう親御さんは、私に依頼しようとしているにもかかわらず、私のこともまったく信用していないのである。
だったら、信用していない人間に最初から頼んでくるな!と言いたくなる。
こういう親御さんというのは、お子さんが受験するのに一緒について行くのだろう。
笑い話ではない。
現代は、非常に多くの親が子供が大学受験だの推薦入学の面接だのに行くとなれば、送り迎えし同行する時代だ。
情けない話である。
義務教育でもなければ、18歳ともなれば社会に出て働いていてもおかしくない年齢だというのに、親が子供の大学受験について行くのである。
こういう親御さんは卒業式にもついて行くのだろうし、入社式にもついて行くのだろうし、退社するのにも子供に代わって会社に辞職願を届けに行きかねない。
私にはこういう感覚は、理解できないしついていけない。
なので、まずは私と子供とを二人で話させないような親御さんがいる場合は、私は穏便に断る。
君子危うきに近寄らずである。
子供を信用していない
私が今、お話ししているようなことは、本当に、すでに珍しい話ではない。
私は、こういう話があった時、お子さん本人が私の前に現れて、私と進路について、自分自身の人生について話ができるのででなければ最初から引き受けない。
一人で私のところを訪ねてきて、私の質問に答えて、話ができる子は、実は最初から大学受験などあまり心配はないのである。
紆余曲折があるにしても、学習の方法や、教材の選び方や、入試の考え方などを時期に応じて指導してやれば、こうした子供は塾にも予備校にも行かずとも間違いなく合格する。
実際、私は引き受けた場合、すべての子を国公立大に合格させてきた。
そうした子は、親の知り合いであってもその子自身は面識がない私のところに来る時点で、年齢相応に精神が大人である。
自分の将来を真剣に考えているし、親の収入や家庭の財務状況をも真剣に考えている。
年齢相応に自立しているのだ。
しかし、「でも」「だって」とぐずぐず言ってお子さん本人を私と二人で会わせないような親御さんが私の前に現れる場合、お子さんの様子はだいたいは想像がつく。
批判を恐れず言わせてもらうと、こういう状況のお子さんは、別に自分の人生として大学へ行きたいとは思っていない。
本人には当事者意識は皆目ない場合が多い。
また精神が非常に幼い。
自分の責任でなにかを決定することができない。
自分の未来像も持っていない。
なにかあれば、自分で解決しようとはせず、親に泣きつく。
なんでも親に報告する。
彼氏(彼女)とどこへ出かけてなにをした、というようなことまでも報告する。
大学受験なども自分のことというより親が言うから、なんとなく周りがそうだから、というので受験する。
そうした子供は努力ができない。
酷な話であるが大学受験はおろか、就職もバイトも難しいであろう。
でも現代では、圧倒的に多いのはこういう親御さんとお子さんたちである。
少なくとも私のところへ相談に来る人たちにおいては。
私は、若い人が好きだ。
子供や若者は、未来に対し未知の可能性を秘めている。
そうした若い人たちの可能性に寄与したいと思うから、金をとらずに力を貸すのが私のポリシーだ。
だが、今あげたような親子からはなんの未来も野心も可能性も感じないばかりか、ひどくバカにされたような気分になる。
ボランティアゆえ、そんなケースには付き合う気にはなれないのである。
延長線上の不登校、そして・・・
私が言っていることの方が、あるいは現代日本では異常と言われるのかもしれない。
まあ、異常で結構。
私は偽善を貴ぶくらいならば異常者でいいと思っているから。
しかし、大学受験だの大学選びだの以前の問題として、こういうご家庭のお子さんについては心配になる。
こういう状況の延長線上では、社会にも会社にも貢献性のない、使い物にならない子供が大量に増えている気がするからである。
私の周りだけ見ていてもこういう事例がすでに珍しくないことを考えると、いったい、現代日本の教育現場はどうなっているのだ?ということを考えずにはおれない。
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| 文部科学省「令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について 」へのリンクを貼っておく。pdf資料の8ページ、9ページにかけて小中学校、高校の不登校数データが載っている。 |
昨年の10月に、文科省が「不登校」児童の最新のデータを公表していた。
なんと、カウントされているだけで現代日本では約30万人もの小中学生が「不登校」なのだという。
これは尋常な数ではない。
同時に、昨年の日本の出生数が73万人程度なのを考えた場合、この30万人という数字がいかに危機的なものなのかがうかがい知れよう。
これは、先進国では飛びぬけて異常な数字である。
現代の学校教育に問題がないはずはない。
問題がなければこんな統計は発生しない。
しかし、学校教育だけの問題ではないのも確かなことだ。
「でも」「だって」と子供を他人と接触させない親御さんがこれだけいる現状を考えたら、その延長線上に膨大な数の不登校が存在しているのもうなずけることだ。
またしかし、これは親御さんだけの問題でもなかろう。
こういう親御さんだらけになっている社会そのものが、重大な局面に遭遇している気がしてならない。
ややテーマと脱線してきているが、学校教育の問題や社会の問題については重大なことだと思っているので、また後ほど書いてみるつもりだ。
ここでのテーマは、「高校生の大学選び」であるから、本題に戻るとして、こういう現代日本の「スタンダード」な親子に対して、大学選びだの、大学受験だの、いったいなにを言ってみたらいいのだろう?
【将来の夢がない高校生?自分の未来イメージがなければ頑張れない!】
高校生への質問
私は、大学受験指導を引き受ける前段階として、次のような質問を渡して、「書いてみなさい」と言う。
書かない、書けない場合は、その時点でやはりお断りしている。
高校生への質問
1,自分の好きなことを書きなさい。(なんでもOK)
2,自分の大事なものを書きなさい。(人でも物でもなんでも)
3,最近、感動したことを教えてください。(なんでもOK)
4,10年後の自分のイメージを教えてください。
18歳だったら、書くことはたくさんありそうだ。
これは試験でもない。
書いてもらう際は、親御さんには一切秘密にするから、好きに書けよ?と言う。
すると、その子はどうするか?
・・・多数は、「わかりません」「書けません!」と言うのである!!!!
・・・これは、正直言って非常にショックであった。
なかでも、一番「わかりません」「書けません!」が多いのが、「4,10年後の自分のイメージを教えてください。」である。
これらの質問は、難しいのだろうか?
難しくはないはずだ。
だって、好きに書いていいよ?という前提なのだ。
決まった答えもない。
それが「わからない」「書けない」という現象は、いったいどう理解したらいいのか、私は大変に考えさせられてしまった。
自分のことだぞ?
なぜ「わからない」「書けない」という「回答」になるのだろう?
荒唐無稽だって構わない。
漠然とした生き方像だって構わないのだ。
若者は、自分の未来や希望があって当然だ。
まだ世の中を知らないのだから、漠然で当たり前だ。
なぜ、「わからない」のか?「書けない」のか?
これは学校教育の「成果」なのかもしれない、とも思う。
現代の学校教育が、「決められた答えを暗記するため」の教育を実施しているのは今に始まったことではない。
しかし、こういう現状を見ると、物事に対して「定められた答え」がなければ答えられないという、とてつもないことが「若者」たちに起こってきているのではないか?と思わざるを得ない。
自分の未来という問いに対しては、定まった回答などあるはずがない。
だから、おじけづくのか、「わかりません」となるのだろうか。
あるいは、合格不合格に関係ないこういう質問は応える必要がない、とでも思っているからなのだろうか?
またあるいは、であるが、「自分の考えを表明する」という経験がないから答えられないのだろうか?
「未来イメージなんて余計なことだ」?
だが、こういう質問に答えが「本当にない」場合、大学受験も大学選びも無意味である。
自分の未来イメージも「わかりません」では、道の選択などはそもそもできないのだから。
極論で言えば、もしそうであるならば、大学受験など今はやらなくてよろしい。
未来へのイメージができてきて、そのために大学という期間が必要であるならば、改めて考えればいい。
しかし、ある親御さんからはこんなことを言われた。
「自分の未来像?こんなもんは必要ないんだ!
大学はさ、国公立か名前のある私大にいかに入学するかがすべてなんであって、未来イメージなんてもんは余計なんだ!
学部?そんなん受けて入ったところで行けばいいんで、お前は偏差値上げて合格可能な大学を増やすために必要なことだけ教えてくれたらいいんだよ!」
まあ、親御さんがこういう考え方ならば、お子さんもそうなのだろうし、それでいいだろう。
ただ、私は指導はお断りした。
この親御さんは、あるいは現代日本の多数派の考え方なのかもしれない。
しかし、私は別に塾や予備校で食ってる人間ではない。
教育としてのボランティアでやっている。
私は自分の考え方に反することはしない。
ただし、この親御さんには言っておいた。
「あなたの考え方は、現代日本では決して珍しい考え方ではない。
しかしね、これだけは言っておく。
人間というのは、自分のイメージ通りになっていくものだ。
自分の内面にあるイメージ通りにしかなれないものでもある。
イメージがないものは、イメージがない通り、流されていくだけです。
あなたの娘さんは、自分の未来に対するイメージがない、と言っているのだよ?
ホントにそうなのかは、俺にはわからない。
しかし、本当はイメージがあるのに、人に話せないのだとしたら、それは18歳にもなって非常に幼稚で、自分の考え方を表現することができないということになる。
それでいいのですか?
俺は18歳ならば、大人として扱いますから、自分の未来に対するイメージが伝えられないならば、それは大問題です。
そういうことでは、大学などに行って、自分の考え方を磨くことなどできません。
あるいは、本当に自分の未来に対するイメージがないのだとしたら、イメージもないところでは人は頑張ったり努力することはできません。
あなたは偏差値を上げて、どこでも有名な大学に合格させろ、という。
しかし、それはなんのためにそうするのです?
自分の未来イメージのためではないのですか?
あなたのおっしゃることからすれば、なにを学ぶか、なにがしたいかなんてどうでもいいってことですよね?
それって、大学行く意味あるんですかね?
生きる意味はあるのですか?
それでいいんですか?
俺も若いころ受験競争はさんざんやった人間ですが、ただ点数だけ取って大学の名前だけあればいいってわけじゃないことを今は身に染みて感じている人間でもあります。
だから、関わる高校生には、かならずまずはここから始めることにしています。
まあもっとも、あなた自身が高校時代、おっしゃるようなお考えだったのでしょうし、だからといって平和な日本ではちゃんとこうしてご立派にやっておられるのでしょうから、それでいいのでしょう。
いや、言い方を変えましょう。
結論的に言って、俺ではあなたの娘さんを指導するには役不足です。
俺はかなり変わり者ですし。
なのでそれならば、予備校に通わせるなり、塾に行かせるなり、あなたのお考え方にふさわしいところを当たってください。」
未来イメージが人生を支配する
未来へのイメージというのは、実はこういう親御さんが考える以上に重要だと私は思っている。
別に、まだ具体性がなくたっていい。
しかし、10年後の自分に対するイメージがある子は、自分で努力をする子がほとんどだ。
ある男子高校生(現在は大学四年生)の場合、私が渡した質問に対し、汚い字で次のように殴り書きしていた。
「(1,自分の好きなことを書きなさい。)数学、物理。計算とか証明に関すること」
「(4,10年後の自分のイメージを教えてください。)物理や計算を使う、なにか研究者みたいなことがやりたい。投資とかにも興味があるので、お金の増やし方を学んでお金持ちになりたい。都会はあまり好きじゃないので、今住んでいる街で結婚して子供がいればいい」
この男子生徒は、10月くらいまであまり勉強せず、偏差値が30台だ、というので私に自分から相談してきた。
私は根本的な学習方法や教材の使い方、これからの数か月でやるべきことを念入りに指導した。
経済的に、国公立大しか選択できない子である。
周囲は、「絶対に無理」と言ったが、私は最初の質問にしっかり回答してきた彼については、なんとかなると確信していた。
少しやり方を教えたところ、11月から猛勉強し、志望していた地元の国立大学理学部に見事合格している。
10月まで偏差値30台の科目が三つもあった子である。
正味、三カ月間、理論的に彼は受験勉強をした。
でも、それだけでなく、本当に寝る時間も惜しんで努力したのだ。
未来へのイメージが持てる子は、驚異的に伸びる。
イメージがある、ということは、実現する可能性が非常に高い。
なぜならば、人はイメージがあることに対しては集中力を発揮し、努力できるからなのだ。
さっきの質問、書いてみて!
この記事を読む方が、高校生の場合、大学の選び方以前に、まずは私がいつも門をたたいてくる高校生に尋ねる質問を書いてみたらいかがであろう。
前述した親御さんのように「余計なこと」だと思う人も多いのが現代の日本だ。
でも、決して余計なことではない。
むしろ核心である。
未来のイメージがあって、その中で大学選びも一つの選択肢に過ぎない。
教育問題は、社会も含めて深刻な日本である。
最大の問題は、現代日本は親も子も「未来に対するイメージ」がないことだ。
長いものに巻かれて流されていけば、それでなんとかなった時代が長かったのだ。
だが、結果として現代日本は子供は生まれず、産業は衰退し、危機的な時代に突入しようとしている。
政治も経済も、「未来に対するイメージ」を持っていない。
だから少子化が叫ばれたのはずいぶん昔のことなのに、なんの対応策も出てこない。
人口が激減していく日本は、サービス業も成立しなくなっていく。
そんな時代だからこそ、あなたがもし高校生ならば、「未来に対するイメージ」はまずしっかり持っておくことだ。
まずはそこからだ。
そのイメージの中に、大学を卒業するというイメージも含まれるならば、大学をどう選ぶか?を始めて考えればいい。
イメージが持てないならば、別に大学に必ずしも行く必要はない。
大学など行かなくても、立派に生きている人はものすごく多い。
大学など出ようが出まいが、生きることは多くの困難がある。
困難があって当たり前なのだ。
それを乗り越えるのが人生の醍醐味だ。
乗り越えるためには、ぶれない自分に対するイメージがどうしても必要だ。
高校三年生は、大きな選択を迫られる時期だ。
どういう選択をとるにせよ、「イメージを持つ」ことからしか選択はできない。
学問だの、社会の実情だの、そんなもんが高校三年生にわかってなくたってぜんぜん構わない。
でも、自分の未来に対してのイメージは、世の中がまだわかっていなくても、必ず誰でも持てるはずのものだ。
そこからすべては始まるのである。
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