【高齢者の運転免許更新に伴う認知機能検査】ドキュメント!

2024年7月11日木曜日

高齢化社会 社会問題

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90歳の父親が、先日、運転免許の更新に際して実施される「認知機能検査」に引っかかった。

認知症の認定の前段階である「認知機能検査」は、様々な超・高齢化社会の問題と直接連動する。

実態はどんなものか、レポートしたいと思う。

父親が【高齢者運転免許更新認知機能検査】を落第するにいたるまで

私の父親が今回の「認知機能検査」に落第するまでには、すでに何年も前から認知症と思しき症状が発生していた。

ここにいたるまでの状況をドキュメントする。

認知症の実態

俗に、「認知症」と呼ばれる症状は誰でも将来起こりうる。

テレビなどでも報道はされているが、実際に目の当たりにしないと、なかなかその全体像がつかみづらい。

政府広報オンラインには、認知症の定義として、次のように書かれている。

「認知症」とは、様々な脳の病気により、脳の神経細胞の働きが徐々に低下し、認知機能(記憶、判断力など)が低下して、社会生活に支障をきたした状態をいいます。

我が国では高齢化の進展とともに、認知症の人も増加しています。65歳以上の高齢者では、平成24年度(2012年度)の時点で7人に1人程度とされ、年齢を重ねるほど発症する可能性が高まり、今後も認知症の人は増え続けると予想されています(※1)。

なお、認知症の前段階と考えられている軽度認知障害(MCI ※2)の人も加えると4人に1人の割合となりますが、MCIの方が全て認知症になるわけではありません(下図参照)。

※1:出典『都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応』(平成25年3月・朝田隆)

※2:MCI=Mild Cognitive Impairment
正常と認知症の中間ともいえる状態のことだが、日常生活への影響はほとんどなく、認知症とは診断できない。MCIの人のうち年間で10%から15%が認知症に移行するとされている。

「政府広報オンライン」の「知っておきたい認知症の基本」より。
「政府広報オンライン」の「知っておきたい認知症の基本」より。現代日本はすでに膨大な数の「認知症」の高齢者を抱えている。

この政府広報は非常にわかりやすく書かれている。

認知症というのは、加齢による物忘れとはまるで異なる。

たとえば、次の表にまとめられているように、体験したこと自体がすっぽりと記憶から消え失せる。

「もの忘れ」と「認知症」は、全く異なる!
「政府広報オンライン」の「知っておきたい認知症の基本」より。皆が知っていた方がいいと思うが、「もの忘れ」と「認知症」は、全く異なる!

そして本人には忘れてしまっている自覚さえない。

たとえば、一年ほど前から、父親に関しては行動記憶、それもつい先ほど行った行動の記憶が、まるでフラッシュメモリーが故障しているかのようにキレイになくなる、という「怪奇」現象が頻繁に見られるようになった。

たとえば、俳句の会の確認で電話をかけたとする。

しばらくすると、電話をかけたという記憶が消えてしまっていて、同じ電話をまたかける。

さらにその記憶も消え失せ、またまた電話をかける・・・。

当人は、先ほど電話をかけた自覚はまるでない。

これが認知症である。

「加齢性の物忘れ」の場合は、「電話をかけた」という行動に関しては記憶がある。

ただ、電話の中で「何日」とか「どこ」とか話したことをうっかり忘れてしまう。

これならば、「齢だから」でもまだ済まされる「物忘れ」の範囲内である。

認知症の場合は、「電話をかけた」という事実そのものがすっぽり消える。

そのため、「俺は、電話なんかかけてねえ!」などと逆ギレし、大きなトラブルに発展することもある。


アルツハイマー型

認知症で広く見られる「アルツハイマー型認知症」
認知症で広く見られる「アルツハイマー型認知症」は、明らかに「もの忘れ」とは異なる。

父親の場合、他にも深刻なことが数年前から起こっていた。

・水道が出しっぱなしで水がジャボジャボ流れている。しかし、「聞こえない」という。

・電話での話の内容、家族の話の内容が、耳には「聞こえている」が、意味が認識できない。

→これらは「失語」と呼ばれる症状。

・目の前に書いてある文字、目の前にあるものが見えていても認識できない。たとえば、取扱説明書のようなものを見ても理解が全くできない。

・目の前にあるのに、「ない」と言って延々と探す。

→これは、「失認」と呼ばれる症状。

・それまでオートマ車を運転していたのだが、数年前からマニュアル式の軽トラックに乗るようになった。ところが、昔から運転していたマニュアル車は運転できるのだが、オートマ車の運転の仕方がわからないという。

・近くのコミセン(2キロ未満の範囲)に行き、帰り道がわからなくなり、2時間ほどさまよう。

→これは「失行」と呼ばれる症状。進行すると、ある日突然、車の運転の仕方がわからなくなったりする。

こうしたことが、この春先から急速に悪化し、日常生活に大きな支障が出るようになっていた。

たとえば書類を受け取ったのか受け取ってないのか、さっぱり記憶がない。

あるいは書類を自分で提出しに行っているのに、その記憶が消滅し、書類の提出の確認の電話を提出先にかけている。

モノをどこに置いたのか、記憶がなくなるために、探し物ばかりしている。

起きてる時間の非常に多くが探し物に費やされている。

先ほど聞いた記憶が消えるので、同じことばかり無数に繰り返して尋ねるようにもなっている。

また、説明を受けても意味が分からない。

言葉の意味や概念がわからなくなってきている。

公共料金の引落し手続きをしたのはいいが、なにをどう引落にしたか記憶がなくなり、水道局や東北電力などになにがなんだかわからず電話をかけることを繰り返す。

しかし、簡単なことなのに聞いてもまったく理解できない。

すでに多方面で父親は「要注意人物」となってきている。

これは、政府広報に書かれている、「アルツハイマー型認知症」にすべて一致している。

アルツハイマー型認知症

認知症の原因としては最も多いといわれており、長い年月をかけて脳に、アミロイドβ、リン酸化タウというタンパク質がたまり認知症をきたすと考えられています。記憶障害(もの忘れ)から始まることが多いですが、失語(音として聞こえていても話がわかりにくい、物の名前がわかないなど)や、失認(視力は問題ないのに、目で見えた情報を形として把握し難い)、失行(手足の動きは問題ないのに、今までできていた動作を行えない)などが目立つこともあります。

そうして混乱をきたし始めていたところで、運転免許更新に伴う認知機能検査の結果が26点となり、大騒ぎが始まった。

合格基準は36点以上であるから、これはすでに著しく症状が進んできていることを意味するであろう。

Xデーが到来したのである・・・。


【高齢者の運転免許更新に伴う認知機能検査】に落第した場合どうなるのか?

運転免許更新の認知機能検査は、認知症判定の一つの境界線である。

しかし、これに落第した場合、その後の手続き等はそう簡単ではなく、また家族にも大きな負担がかかってくる。

介護保険などの福祉サービスの問題もある。

実際、今現在起こってきていることをドキュメントしていこう。

落第したとしても再検査は何度でも受けれる。しかし・・・

運転免許更新の認知機能検査は何度でも受けられるのだが・・・。
運転免許更新の認知機能検査は何度でも受けられるのだが・・・。

免許更新に伴う高齢者の認知機能テストから二週間ほど後、朝、公安委員会から父親に電話がかかってきた。

認知機能検査に引っかかった、という連絡だが、本人は取り乱すばかりで、なにがなんだかわからない。

しまいには激高し、「別な人の検査結果を間違えて電話してきている!」と言い出し、公安委員会(運転免許センター)に自分から電話し、食ってかかった。

そして、いろいろ説明を聞いたのだが、認知症の症状例にある通り、聞いてもすでに意味が理解できなくなっている

それどころか、公安委員会に電話した記憶が消え失せ、「けしからんから電話して確認しないとならん」などと、再度電話する。

「さっき電話したでしょ?」などと言っても「絶対に電話などしていない!」と怒鳴る・・・。

いずれにしても、電話で今後の段取りの説明は受けているのだが、内容が理解できないため、父親は「弱った弱った」と、母親と二人で慌てふためいて恐慌状態に陥っているが、私が状況や、公安委員会に言われたことを尋ねても、そもそも電話の内容が記憶に残っていないものだから、さっぱりわからない。

そこで、警察庁のホームページで調べたら、次のように記載されていた。

警察庁webサイト「認知機能検査について」。
警察庁webサイト「認知機能検査について」。認知機能テストの内容、規則がわかりやすく記載されている。

・・・(運転免許更新に際して行われる認知機能)検査の結果、「認知症のおそれがある」と判定された場合には、公安委員会(警察)から連絡があり、臨時適性検査又は診断書提出命令により医師の診断を受けることになります。認知症であると診断された場合は、聴聞等の手続を経た上で免許の取消し又は効力の停止を受けることとなります。

 また、75歳以上のドライバーが信号無視等の特定の交通違反をした場合には、臨時に認知機能検査が行われますが、検査の実施要領は同じです。

 この臨時認知機能検査で、「認知症のおそれがある」との結果であった場合も、臨時適性検査を受け、又は医師の診断書を提出することとなり、認知症であると診断された場合には、聴聞等の手続を経た上で運転免許が取り消され、又は効力が停止されます。

 さらに、臨時認知機能検査の場合、直近に受検した検査で「認知症のおそれがない」と判定された方が「認知症のおそれがある」と判定された場合等は、臨時の高齢者講習を受講していただくことになります。

それから一週間後、書面で「診断書提出命令」および、関連する説明が郵送で送られてきた。

父親は読んでいたが、やはり意味が理解できない。

概念が理解ができないので、何度も何度も読み返すが、読み返してもなにがなんだかわけがわからないで、恐慌状態に陥るばかりである。

で、私がこのwebサイトを読んで調べたところでは、「認知症の疑いがある」場合、原則としては医師の正式な認知症検査を受けて結果を公安委員会に提出する義務がある。(診断書提出命令。)

しかし、運転免許センターで再度認知機能検査を受けることは可能で、受験料はかかるが、パスすれば医師の診断書提出命令は撤回される。

これは、上記警察庁のwebサイトのQ&Aにこう書いてある。

問5 検査の結果、「認知症のおそれがある」と判定されたのですが、再度、受検することはできますか。

(回答)

検査は何回でも受けることができますが、受ける度に手数料が必要です。

再受検し、「認知症のおそれがない」と判定された場合は、臨時適性検査又は診断書提出命令の対象となりません。

なんだ、けっこうユルイではないか・・・。

医師に認知症だと診断されて運転できなくなるのがイヤならば、もう一度運転免許センターで検査を行ってみたらいい。

これは何度でも受けられる。(ただし受験料はその都度かかる。)

もう一度受けてみて、また落第するようならば、医師の診断を受ければいいのでは?

その結果、認知症と診断されるならば、免許取り消しはもはやいたしかたない。

以上、簡単なことなのだが、父親に説明しても、どうやらこれらの「意味」が理解できていないのだ。

「再度、公安委員会の検査も受けられる」という意味もよくわからない。

ここでの規則は、「診断書提出」or「指定期間内の運転免許更新に伴う認知機能再検査」である。

しかしどうやら「A or B」という概念もわからなくなっているらしいのだ。

・・・これは、どうも本当にヤバい状況なのではないか?

と私も認識するにいたった。

両親は恐慌状態で「弱った弱った」を永遠に繰り返している。

もはやこれは上述した「アルツハイマー型認知症」に100%当てはまっているような気がする。

友人の父親は、あるとき、コンビニで突然車の運転の仕方がわからなくなり、救急車で運ばれて大騒動を起こしたりしている。

様子を見ていると、既に脳内に深刻な問題が発生していることは疑う余地がない。

私が危惧するのは、彼本人が田んぼに車ごと突っ込んで事故死したりするのはまだいいとして、子供をはねてしまったり、スーパーなどに突入したりといった事故や事件もあるいは起こしかねないような気がしてならない。

そこでもう、私の判断で、公安委員会(運転免許センター)の再検査ではなく、医師の診断を受けさせることに決定した。

しかし、両親の恐慌状態は、おさまるどころか日に日にエスカレートしていった。

これには、実家が存在する地域の事情もある。


崩壊する農村社会では「運転できない」=「生活できない」!

高齢者だらけになっている地方の農村。
高齢者だらけになっている地方の農村。すでに一人暮らしでどうにもならなくなっているケースも見受けられる。

実は、実家は新潟県の旧郡部の農村地域にある。

この地域は現在、急速な過疎化と高齢化が進行している。

以前は、村内に小さなよろず商店が何軒かあって、日常品や食料品を近所で買うこともできた。

しかし急速な過疎化と人口減少は、そうした個人商店をすべて閉店させることとなった。

かつて郡部の町だったこのエリアは、現在国道沿いに中規模のスーパー、小規模のホームセンター、ドラッグストアがあるだけ。

またコンビニが二軒ある。

しかし、実家のある集落からは距離は2キロ以上あり、歩いて買い物に行くのは年寄りには非常に困難である。

うちは両親とも車を運転していたのだが、三年前に母親が圧迫骨折で動けなくなり入院、その後も運転免許はなんとか維持しているものの、事実上運転はできなくなっている。

なのでそれまで母親がしていたスーパーでの買い物は、父親が運転して毎日行っている。

また、病院も、この地域唯一のクリニックは3キロほど離れたところにあるが、いろいろと「医師としての資質に疑問」がある医師で、両親は最近、市の中心部にある病院まで行っている。

母親はこのところ鬱病も患っており、不定期に不安定となり、「胸が苦しい(気がする)」、「心臓が苦しい(気がする)」と言い、駆け込みで市内の病院に行きたがる。

これはけっこう遠い。片道16キロほどある。

ここに行くにも、現在は父親が運転している。

さて、もし父親が認知症と診断された場合、

認知症であると診断された場合は、聴聞等の手続を経た上で免許の取消し又は効力の停止を受けることとなります。

ということは、認知症の診断が出た場合、彼らは事実上、ここでは生活することが困難になる。

いや、これは他人事ではなく、私の人生にもかかわってくる問題だ。

買い物ひとつとっても、彼らはできなくなるわけだから、そうなってくると私がすべて送迎しなくてはならなくなるのではないのか・・・?

病院への往復にはタクシーで16000円ほどかかるのである。

母親は不安が高じてくると不安定になり、「苦しい気がする」などと言ってはパニック状態になることもしばしばだ。

そのつど病院まで私が送迎せねばならないのだとすれば、これは大変なことになってしまう。

私にとっても非常に多くの困難が伴う事態が起こっているのだ。


介護がもたらす家族の困難

高齢者の問題は、本人よりもむしろ家族に負担は重くのしかかる。
高齢者の問題は、本人よりもむしろ家族に負担は重くのしかかる。

私は、国際結婚をしている。

数年前のコロナのおり、妻子が妻の実家にいる時にコロナの入境制限が発生した。

家族と離れ離れになるのは私には耐えがたいことなので、私も妻の国に行って生活しようと決心し、それまで営んでいた事業を清算、さて、それでは出かけよう、と思っていた矢先、母親が圧迫骨折をこじらせて起き上がれなくなり入院した。

以来、私はやむを得ず実家で生活しているが、母親は鬱病も出ていて、面倒くさくなってくると私に悪態をつき、パニックを起こしたうえで年に何度か入院してしまう。

そこにもってきて父親が認知症と思われる症状が進行し、今回のような事態になっている。

ちなみに、私の「妹」というのもいるのだが、この女はもともとアスペルガー症候群の重度のケースであるため頭がおかしく、両親がこういう事態になっていてもなにもしない。

結婚して子育てが大変だというならばまだわかる。

だが彼女はいい年して独身、政治活動に熱心で、保護猫の活動だの消防団の活動だの、気持ちが悪くなる偽善活動に日々精進している一方で、両親の介護等にはなにも協力する気がないのである。

福祉を騙った政治活動などしているが、聞いてあきれる話である。

加えて、父親は9人兄弟姉妹の長男だ。

「ゴミのような」弟姉妹がひしめいており、両親の破綻に対していろいろと余計なちょっかいを出してくる。

彼らへの対応も、なかなかの一苦労である。

両親の体調や頭の具合が悪化していく中で、信託銀行などの金融機関が、資産の話については私の同席を要求するようになった。

風呂の掃除、ゴミの始末、トイレの処理、病院の送迎、買い物、母親の鬱発作、金融機関の立ち合い・・・etc.

気が狂いそうになることが多い。

可愛い年寄りではないから、なおのことだ。

この人たちは、元教員である。

一番、たちが悪い。

元教員というのは、人格無関係に「先生」呼ばわりされて威張ってきた人種である。

そうした人生を送るうちに、自分が「エライ」のだと勘違いしているところが多々ある。

異常にプライドだけは高い。

つねに自分が正しい、という意識が非常に強い。

また世間体に対して異常に敏感である。

いろいろと近所に対して自分たちが「いい人」であることをアピールしたがる。

その割には、薄情極まりない。

・・・こういう人たちの世話?本当に大変なのである。


介護福祉サービスの現状

農村では、行政もいろいろと考えてはいるだろう
農村では、行政もいろいろと考えてはいるだろうが、急速に進展している超・高齢化社会の実情に対応しきれなくなりつつある。

それにしても、この辺りはすでに両親に近いような高齢者だらけである。

車の運転ができなくなった場合、・・・それは、事実上「生活ができなくなる」ことを意味している。

うちに限ったことでなく、周辺では車の運転ができなくなった高齢者たちが、すでにどんどん亡くなっている

「福祉」などといったところで、こういう田舎では急速に進む高齢化には、すでに対応が限界という非常に難しい現実がある。

今後のことをいろいろと考えていく上で、少し調べてみた。

いったい、車の運転ができなくなった高齢者の買い物等のサポートは、市のサービスにはなにか手段があるのだろうか?

一応、「福祉バス」というのがある。

前日までに電話を入れておくと、家の前まで迎えに来てくれる。

そして旧町内であれば送り迎えをしてくれる、というものだ。

毎日ではない。

月、水、金だ。

マイクロバスである。

一回の利用で400円の料金である。

ただし、である。旧町内で一台しか運行されていないので、細やかな対応するのはなかなか大変のようだ。

スーパーまでこのバスで行くにしても、帰るには他の人の送迎もあるから、スーパーで待たなければならないことも多い。

夏場はまだしも、冬はかなり高齢者には厳しいであろう。

また、このバスは旧町内のみであるから、市の中央部にある病院に行こうとすれば、タクシーを頼むしかない。

うちの両親は、退職教員共済年金をもらっているので、一応、金が全然ないわけではない。

しかし、たとえば月に4回市内の病院に行ったとしたら、それで6万円である。

細々とした年金暮らしをしているお年寄りは、とてもそんな経済的余裕はない。

「だったら、介護施設に入居させたら?」などとゴミのような親戚どもが気安く言ってくる。

バーカが!

そうできるものならとっくにそうしている。

ところが、これが非常にまたハードルが高いのだ。

このあたりで特別養護老人ホームに入所するためには、介護認定が「要介護3以上」でなければならない。

母親は現在「要介護2」であるが、まだ一応、自分と父親の食事の準備ができるということで「要介護3」にはならないのである。

この基準も、なかなかシビアで、「インスタント味噌汁にお湯を入れて食べることができる」ようだと、要介護3にはならないらしい。

だが、今後は父親の認知症検査の結果次第で、この二人は買い物に行くのも難しくなる。

それでも要介護は2以上にはならないならば、これは適切な判断と言えるのだろうか?


医師の認知症検査への不信感

筆者はこれまで何度か父親に医師の認知症診断を受けさせた。
筆者はこれまで何度か父親に医師の認知症診断を受けさせた。早期なら対処法もあると思ったからだ。しかし、そのたびごとに医師は診断をうやむやにしただけであった。

父親は、明らかにアルツハイマー型認知症の症状が出ているので、これまで近所の評判の悪いクリニックで何度か認知症のテストを受けてきた。

また昨年、介護認定調査員の訪問調査を受けた時も、簡単な認知症検査を受けている。

しかし、こうした検査は非常に簡単なもので、現実の日常生活で起こっていることを判断することなどできっこないような検査である。

これまで私が傍でみていると、検査や調査は、「今日は何年何月何日?」とか、「さっき見た絵を思い出してみてください」といったようなもので、「まだ認知症ではない」とされてしまった。

しかし、すでに昨年から「記憶そのものがなくなる」ということは頻繁に起こってきている。

こうした事実をいくら伝えても、医師は認知症の判断をしなかったし、介護認定調査員ももっともサービスレベルが低い「要支援1」しか出さなかったのだ。

アルツハイマー型認知症は、急速に進行するというのに、こんな検査や調査では、症状の重大な進行局面など見て見ぬふりをしているようなものではないのか。

認知症の診断は、患者に動揺を引き起こし、逆ギレされることも多いので、医師を見ているとおだかやかにうやむやにしている印象を受ける。

介護認定調査員は、基本的には医師の診断がなければ認知症を持っているとは扱わないようだ。

よほど医療保険や介護保険を使わせたくないのだろう、などと思われてならない。

だが今回は、運転免許更新のテスト結果による「診断書提出命令」に沿って認知症検査を受けることになるので、それには脳内MRI検査も含まれている。

そこで、今週、脳内MRI検査に連れて行ってきた。

来週、結果が出るということでまた同行しなければならなくなる。

今回の場合、これで「認知症ではありません」と言われても、非常に問題がある。

この現状を認知症と診断できない医療だとすれば、担当する医師は問題がかなりあるだろう。

だが、「認知症です」となった場合でも、非常に問題は多い。

私が対処するにしても、手探りで、様々な困難が続出していくだろう。

うちの場合は、私が不本意ながらいろいろとやっているからまだいいのだろうが、こうしたことに付き合わされていたら、なにもできなくなってしまいかねない。

外で働いている人などは、こうした介護に十分な対応ができないであろう。

一人暮らしの高齢者の場合は、こんな場合、どうするというのだ?

なにをどうしたらいいか、まったく行き詰まり、破綻してしまう人も多数いるのではないのだろうか?


今後について

今後の対処をめぐっては、診断が出てからでないと対応できない。
今後の対処をめぐっては、診断が出てからでないと対応できない。

さて、これから先の処置をどうしたものなのか?

少し考えてみた。

1,認知症の診断が下った場合、まずは公安委員会に父親を連れて行き、免許取り消しの手続きをしなければならない。

2,それから早急に介護認定の再調査をさせる必要がある。

その上で、ケアマネを父親にもつけて、可能なサービスを受けるしかないのだが、この認定にはまずはひと月以上要する。

3,それからさらにケアマネと相談をしなければならないが、これもケアマネ選定やらの手続きだけで二週間はかかるだろう。

要介護度の度合いはどうなるのかは未知数である。

だが現段階では、まずはケアマネをつけれるように、介護保険サービスを有効に活用できるように考えてやっていくしかないのである。

その間、母親は鬱病ですべてが投げやりになっているから、父親の手続き等に対しては私が対応するしかない。

また、病院等に行くのも、私が送迎する以外ないだろう。

買い物は?

私がある程度はやるにせよ、私も仕事があるので彼らの都合に合わせることなど不可能である。

これもバカな父親の弟妹どもは、「今はネットでもなんでも買えるのだから」などと言う。

ネット?うちの両親は、スマホすら意味がわからず使えないのだぞ?

パソコンも父親に関しては昨年、突如使い方がわからなくなって以来、起動させることすらできんのだ。

ネットで買い物など不可能なのだ。

県内のスーパーでは、オンライン注文とかを受けているというが、どこもうちのような高齢者には最初から対象外である。

唯一、コープ・デリは電話でも注文できるというので加入させたが、いまだに買い物をどう注文するのか、よくわかっていない様子である。

結局は、私が買い物からなにからなにまでやらねばならなくなる。

少し考えただけでも、大変な負担である。

もう緊急で母親がビョーキの鬱病発作を起こしたとしても、私が対応できない場合は、タクシーなり救急車なり呼んでもらうしかない。

それにしても、農村部はこんな現状では、一人暮らしの高齢者は生きていけないだろうし、家族が同居していても家族の方が頭がおかしくなり破綻する人も多いのではないのだろうか?

本当にいろいろと考えさせられてしまう。


超・高齢化社会の現実

現在進行形の超・高齢化社会。
現在進行形の超・高齢化社会。日本の未来に深刻な影を投げかけている。

少子化が進み、対照的に膨大な数の高齢者を抱える日本。

この状況は「超」がつく高齢化社会である。

現在は介護保険が施行されており、昔に比べればまだかなりマシではあるけれども、どうにもならない多くの問題がここにはある。

このシリーズは、今、私自身が直面しているこの問題をありのままに描き出すことで、読者のみなさんに実態をお伝えしていくためのドキュメンタリーである。

来週、父親の脳内MRI検査を踏まえた診断が出るが、また追ってレポートしていきたい。


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